会長の想い


社長就任の経緯


前社長からの期待

会長の想い社長になる約1年前(2000年)に前社長から「自分の後社長をしないか?」と打診されましたが、経営者になりたいという気持ちはなく、そんな能力があるとも思っていなかったので、その時はお断りをしました。前社長の反応は「その気になるまで待つ」でした。それから半年後、前社長がガンで入院されました。
いずれ引退されるときには、誰かが社長をしないといけないだろうと思い、そして、期待された以上は受けないといけないかなという想いが芽生えてきました。
それから4か月後に亡くなりました。

楽観的な社長就任

5人の幹部で話をした結果、有松が社長をやれと言われ、みんなが協力してくれることを条件に社長を引き受けました。(2001年)ただ、この会社をどうしたいという想いも経営の知識も全くありません。上手くできるかどうかはやってみないとわからないし、何とかなるだろうと楽観的に考えていました。

社員の反応

社員に会社に対しての愛着などあまりなく、社員の定着率も悪い状態でした。社員はなんで有松さんが社長になったのか?経営の知識もないのに大丈夫なのか?と不安が溢れました。そして、社員同士で話し合いをし、会社の問題などをまとめ質問状を持ってきました。その質問に答えることが私の経営のスタートとなりました。

質問の内容は、「会社の目的が分からない」「目標が持てない」「やりがいがない」「こんな状態では働けない」「それを社長としてどう考えますか?」「社長は何をする人ですか」など大変重たいものでした。
ちょうど、中小企業家同友会の経営指針成文化研修に申し込んだところだったので、社員には、これから成文化研修会というところで勉強して、経営指針書を作るので、そこで判断してほしい。「社長は何をする人か?」というのは、私自身まだわかっていないので、経営指針書の中で表現していくということで、納得してもらいました。
そして、経営指針発表会は、4か月後の翌年2月の第1土曜日に行う約束をしました。

社員の反発、悩む経営者

初めての経営指針発表会と感想文

会長の想い理念というのは、自分に会社に対する想いがなく、作れませんでした。3年計画と経営計画は、作りました。その中に新社屋、新社名があります。今から思えば、新社屋を建てるなんて、何の根拠もなく言ってるんですよ。でも、社長として夢と希望を与えないといけないと思い書いてしまった。会社を変えるには、改善では無理だと考えました。思い切って、社屋を移転して、社名も変え、第二創業のつもりでスタートというイメージを描かないとよくならないと思った。それは、社長になって4か月後のことでした。言ってしまったことは、やらなければならない。それを2年で行ないました。
新米社長で何の知識もない担保もない人間に銀行はお金を貸しません。銀行との関わりも知らないで、自分がやりたいことだけを言っていました。当時の売上としては2億6千万でしたが、いろいろ苦労して、2億5千万融資してもらった。通常は、あり得ない話です。社長として、言ったことを2年で実現したにもかかわらず、社員は動いてくれませんでした。ジレンマですね。それが壁になって、上手くいかなくなってきた。

借金を毎月2百数十万円返さないといけない。それには利益を出さないと払えない。出来なければ、会社が無くなる。それがプレッシャーとなって、社員にあたったというものあると思いますね。そこからですね。いろいろな葛藤がはじまったのは。それがあったらからこそ、今があると思います。今となってみれば、よかったとおもいます。

最初の経営指針発表会で、自分の想いやこんな会社にしたいというビジョンみたいなものを話しました。感想文を書いてくれとお願いしたら、社員22人のうち12人が書いてくれた。感想文は、1行か2行かだけです。そのうち5人くらいが否定的なことでした。

否定的な意見に対して、「絶対にやってやる!やり遂げてやる!今に見とれよ!いつか見返してやる!」という気持ちになっていました。これがみんな肯定的であったら、無理はせず、2億5千万ではなく、1億くらいの借金で今とは違っていたかもしれないと思います。

社員から厳しい質問状が来なかったら、こういうことしてなかったかもしれません。3年後に新社屋新社名にするなんて書いてなかったら、こうなっていなかったと思います。社員が反発しなかったら、こじんまりとしていたかもしれない。今から思うと、社員が自分を奮い立たせてくれたと思います。その当時は「くそー!」「いつかは見返してやる!」と思ってやってましたけど。

社風を変えるために説得する

社長になった当時は、いろんなことが非常にルーズだったです。お客様への対応、社内のルールも不十分、整理整頓もやってない、社員教育もほとんどやっていなかったので、挨拶すらろくにできない会社だったです。自分の中では、そこからきちんとやっていかないと、会社づくりは出来ない、いい仕事は出来ないと思ったので、小学生がやるような整理・整頓・清掃・挨拶から徹底してやっていきたいという想いがありました。こういう社風となっているものを変えようとすることは、大変力がいることで、二十数名いると少々では変化がない。
どうしても高圧的な態度にもなってたでしょうね。そうしているとだんだんと、指示しても「なんで僕がやるんですか」とか「なんでそこまでやらないといけないですか」とか反発されることが増えてきました。高圧的に説得すると、「はい。分かりました」とは言うけれど、それはやりませんという表現です。その頃は権力で動かそうとしていたんだと思います。

人を活かす経営

経営指針書を作っても、社員に書いてもらってもやらない。やってくれない。どうしてやらないんだろうと考えた時に、「人を活かす経営」に気づきます。
社長になった当初は、社員にどうやってモラル・マナーを植え付けていくかということに力を入れていました。社員のやりがいとかほこりがどこにあるのか見えない、それが見えてこない限りうまくいかないだろうと思います。多くの会社の経営課題は、新商品の開発だったり、タイムラインの改善だったり、新規顧客の獲得以前の問題かと思います。


経営者としての学び


どのように経営を学んだか

会長の想い同友会の例会に行った時、経営者の生の声というのが大変参考になりました。うちと同じような状況の会社だったり、同じ悩みを持った経営者がいることで安心できましたね。
先輩たちの話を聞くと、本当にいろんなことをされていて、自分もそういうことができるようにならないといけないというような思いになり、例会も休まず行きました。先輩たちが話すこと一字一句逃すことなく、真剣に聞きました。そういう姿勢が周りに伝わったのか、例会に行くと100%グループ長か発表者などの役割をいただきました。

役割があるつもりで参加するので、より集中して例会に参加するようになりましたね。先輩たちからもいろんな指摘されたり、分からないことは電話して聞いたり、そうすると非常に丁寧に教えてくれましたね。みなさん親身になって教えてくれるので、ありがたかったですね。自分だけでなく、一緒に考えてくる方がいたというのが心強かったです。

そのうち、こういう経営者になりたいなと思う方の講演会には必ず参加するようにしましたし、常に新しい気づきがいただけるんじゃないかと。そういう勉強会ばかり行くことで知識がいっぱい学べ、また、考え方とか同友会に入ってよかったと思います。
ただ単に利益を出すのが経営ではなく、利益っていうのは結果だということを学びます。特に、自分はサラリーマン社長でいつでもクビになるから、利益を出していかないといけないという責任を感じていました。それは、まず、お客様に役に立つことをや社会貢献をやったことに対する結果が利益という考え方にかわり、それをやるのが社員だということになります。


大変だったこと

会長の想いそうこうしてると、同友会の中で、役をいただきます。自分にはとんでもない大きな役をもらったりもするんですが、それも本来なら社長になって3年4年の人がやることではないようなことをやらせていただける。そうすると期待に応えないといけないという自分が表れてれて、また頑張る。

例会や全国大会の報告も多数させていただき、これがまたいい勉強となりました。人前で話をするというのは、責任があります。嘘を言ってはいけない。言ったらやり遂げないといけない。見栄張って言ってしまうこともあるのですが、そうすると必ずやらないといけない自分ができてきて、ますます経営に力が入っていきます。

役が重くなっていくにつれ、経営者としての品格というか、人間力というのが求められるようになる。対外的な人とお会いするのも会を代表してその場に行くとそれなりの話ができないと恥ずかしい思いをするので、勉強もするようになりましたね。
一番大きく影響を受けたのは、「人を生かす経営(中小企業家同友会全国協議会)」に出会ったことですね。

経営者としての成長

経営者としての成長というのは、一言で人間力に磨きがかかった。学ばせてもらいました。
身に余る大役をいただいた時に、人間力が必要だと思ったので、意識をもっていろんな勉強をしました。役を任されると、普通じゃ会えない人にあったりすることもありました。それには、社会的な知識だとかも必要になってくるので、社会の流れなども勉強しました。

人間力というと大きくて曖昧な部分もありますが、自分の中で総合的な知識、思考力、コミュニケーション能力、リーダーシップ、情熱、忍耐力というものを学ばせてもらいました。マラソンにはまっていったのも、そういうところがありますね。

会長の想い100Kmウォークを始めたのが、2007年ですから、ちょうどこのあたり。2006年~2008年ころが私の転換期と思います。自分に甘え気づき、リーダーシップが取れない、迷いがいっぱいあると課題が見えてきて、過酷な状況に自分を置いてみたくなりました。

2011年くらいからマラソンを始めましたが、これは最初から100kmマラソンを走るつもりで始めましたから、いつかは必ず走ってやると思っていました。3年目に挑戦し失敗しましたが、4年目には100km走れました。それも忍耐力、やり遂げる精神力の鍛錬になっていると思いますね。総合力というものが、経営者としての経営哲学とか信念になり、ぶれないものになっていると思います。とにかく、会社をよくしたいという強い想いで勉強してきました。

メンターの影響

会長の想い自分が尊敬できる経営者に巡り合えた時に、その方々が発する言葉って、非常に自分の経営に大きく影響するんですよね。私の中でお二方いるんですが、お一方からは経営の考え方を教えてもらった。もうお一方からは問題課題の解決ってところについての考え方や進め方を教えてもらった。もしこのお二方に出会わなかったら、自分の経営というのは変わっていたかもしれない。

その方々からもらった言葉というのは、本当に今でもはっきりと覚えていて、考え方を学ばせてもらった方には「経営はアートですよ、有松さん」と言われたんですよ。経営が芸術か~そこから芸術ってことを考えはじめます。感性を磨きなさいということだったんですね。どうやったら売上げが上がるかとか戦略を立てるのかとということではない。

会長の想い思いつきひらめきも感性だし、思考っていうのは感性から生まれてくる。思考は経営につながっている。感性を磨くということが、いろんな思考力とか想像力とかにつながって、経営に出てくる。それが経営の色になってくる。そういうことかなと自分の中でだんだんと理解してくる。

掃除やお花などは自分の中の感性につながる部分を磨いているってことなんですね。
「経営はアートですよ。有松さん」と言われた言葉が自分の中でそこまで深められたということですね。


言葉を深める

会長の想い「有松さん、社員に晴れ舞台を作っていますか?」一言言われるんですね。その方言われると、心に刺さるんです。全く指示命令待ちの社員が多かったですから。社員が自分の舞台に上がって、舞台を本当に楽しんで舞台をこなすというような感じでは全くなかったので、周りから拍手喝采されるような社員が舞台を踏めるようにならんといけんなと言う思いになります。

同友会の例会でグループ討論している時に、先輩の経営者に、「有松さんいろいろやってるけど、あなたがやってるのは経営ごっこじゃないの。」と言われたんです。自分は一生懸命いろんなことに取組んで会社を良くしようとしているけど、他の経営者から見ると、遊びの延長戦のように聞こえるのかなと思った。

どこかで、そういうものが言動として出ているんだろうな。これは一つの意見かもしれないけど、そう思うという方がいらっしゃるということは、自分としては何か考えないといけないという風に思いました。まだまだ自分には真剣みが足りないということかなと本当に反省させられました。
いずれこの人にそんな風に言われないように、逆にほめていただけるような経営をしないといけないなと思いました。

他にある人からは、「すぐやればすぐできる」ということを聞いたんです。これも心に響く話で、経営者になってはじめのころは、期限が一週間と言われたら、1日前か2日前になって慌ててやって、帳尻を合わせていました。そういうことが習慣化していた自分に気づきます。「すぐやったらすぐできる」。確かにそう思いました。言われた時にすぐすれば、出来るのに、直前になってやるからいいもの出来いないのですよね。こういうヒントを同友会からたくさんいただきました。こういうのは生身の経営者と話をしないと出てこない。自分の課題だったり、目指すものがあるときのヒントになる。本当にありがたいと思います。

心に響く言葉

会長の想い年に1回は東京の「相田みつを美術館」に行くんです。時間を見つけて1時間で行けるので。自分の今その時の心情によって、心に響く詩が違うんですよ。その時に響いた言葉を買って帰るんです。これが本当に心に突き刺さるんですよ。

例えば「美しいものを美しいと思えるあなたの心が美しい」今まで美しいものを見ても感動しなかったんですよ。流れてたんですよ。美しいものを美しいと思えない自分が情けないと思いだした。
「育ったように子は育つ」と書いてある。なんでうちの子が勉強できないのかなと言うのはそういう育て方をしてる自分のせいだってこと。社員が成長してくれないかなと言うのも自分がそうしている。そういうのが言葉から全部響いてくる。
そういう風に問題課題は自分にあると思ってくると、いろんなことから学ぶことができる。
だから、相田みつを美術館には必ず毎年、年1回は行くようにしています。行って1時間だけ見てきます。

いつも気になる言葉が書いてある葉書を買います。買って帰ったら同じものがあったりもするんです。そういう時は気になるものが変わっていないんでしょうね。自分の心が変っていない。
そういう勉強の仕方があるんですよ。



社員・会社の成長


減収増益

プランを作ったけど行動できなったものが、プランを作って行動できるようなって来たんですよ。成果まではまだ出ないんですけど、やってるんですよ。それを繰り返すことによって成果につながっていくんですね。それはなぜかというと、やったことの結果を検証して次に活かせるから。だんだんと成果は出てくる。それが年々出てくるようなってきました。

2008年のリーマンショックが1つの転機となりました。自分のいろんな考え方が変わろうとしたのは2006年から2007年なんですよ。その後にリーマンショックが起きました。2008年のリーマンショックが起きた時はあれあれよといううちに売上が下がりましたが、何とか黒字にすることができました。
翌年2009年は経営指針でコストダウンを社員と一緒に取組んだんですが、減収増益をやってのけました。ボーナスは出せないと思っていましたが、出せました。
その時に社員も自分たちは出来るという自信が生まれたと思います。それが一つの結果ですね。経営計画に書いたものがちゃんと実行できて、結果が出せたという最初のみんなが実感した成果だと思います。それは大きかったと思います。

計画したことが実行できる

それからというものは経営指針が動くようになって、経営指針の内容も自分たちがやりたいことを書くようになってきました。前は言われたことを経営指針書に自分たちで考えて書いていたのが、次は、今度は自分たちがああやりたいこうやりたいというのが、だんだん経営指針書に入ってきました。自分たちの想いが入ってくると、そうなると経営指針書の中身はカラーになってきたり、絵が入ってきたりするんですよ。
これは毎年ちょっとずつちょっとずつよくなっていくんですね。そうすると3年前から考えると出来ることが増えてくるんですよ。その積み重ねですね。そういう積み重ねが会社の成長、社員の成長につながっていく。成果と言うのは計画したことがちゃんと実行できて、目標に近づいていける一丸体制ができてきたということでしょうね。

企業風土調査

会社や社員に問題があると思っていました。だから、物事が進まないと悩んでいました。結局は自分が経営者として出来てないからこういう状態になっているんだと気づきます。
その時に、企業風土調査というものを第三者機関にお願いしたことがあったんですね。無記名でアンケート調査を行った時に、当然、風土が良くないだろうなということは想像していましたけど、自分がおもったよりも更に社員の意見は厳しいという現実を突きつけられました。で、調査結果を説明していただいて、全社員の前で第三者の方に説明いただきまして、自分は売上とか利益のことばっかり気にしていて、社員の皆さんの働きやすさとかやりがいだとかそういうことをあまり考えずに経営をしていたということが、この結果に出てきました。経営者として反省しなければいけないとお詫びをしました。これからは社員のみんなが働きやすい環境を整えることを、しっかりと考えて経営していきます、という話をみんなの前でしたんですね。それが2006年の12月です。

いい会社にしたいという想いを共有

うちには、社員会といって昇給だとかボーナスだとかを話し合い、社員の代表者と話をする機会をもうけています。その社員会を開き、社員だけで話し合いをしたいから、時間を使わせてくれといってきたんですね。どうぞと言って、やってもらいました。ちょうど私が反省の弁を述べた後だったんで、社員たちが会社に対して要求事項とかを考えるのかと思ったんですよ。
2日くらいたった後、感想文を持ってきました。すごいたくさん書いてあって、ほとんどの人がA4用紙の半分くらいは書いていて、裏側まで書いている人もいたんです。前に感想文書いてもらった時1行か2行だったのが、みんな半分以上書いてて。

どんなテーマで話をしたかというと、この会社をよくするために自分たちはどうするかということをグループ討議していたんですよ。4つのグループで話し合った意見を大きな模造紙に書き込んであって、涙が出てきました。
あるグループは船が書いてあって、社員が乗った船が宝島に向かっている。そこに、いろいろコメントが入っている。それを見た時、社員が要求事項を突きつけるために話し合ってると思っていた自分が恥ずかしくなった。その時には社員が働きやすい職場づくりを本気でせんといけんなと思った瞬間ですね。

ただ、まだ私に対しての信頼というのはなくて、何かしようとすると当然反発はしてました。でも、そういうふうに会社をよくしたいと気持ちは同じになれたという瞬間でした。
今でも覚えている転機です。そこで私自身も社員にとっていい会社にしないといけないと決意をした瞬間でした。


信用していない経営者

2010年くらいになると、社員から業界の全国大会で技術発表したいという社員が表れてきました。全国の技術者が集まる全国大会なんで、発表の後、当然技術者から質疑応答とかもあるんですよ。そんなことがうちの社員に耐えれるないのではと思いました。
僕も社員を信用していないわけですよ。「本当に出来る?無理することないよ。」と何度も確認しました。結果、見事にやり遂げます。本当に素晴らしい。
そういう社員が表れると、次に続いてやりたいという社員が表れるんですよ。それから、新しい分野にもチャレンジしたみたいという社員が出てきてね。昔から考えると思いもよらないことですよね。

会長の想い私が社長になった頃に聞いたことがあるんですが、「技術者と思っている人?」と聞いたら、分析課の課長が一人手を挙げたんです。あとは全員作業員だって言うんですよ。指示されたことをやりますみたいな。そんな会社だったものですから、自らが全国大会で発表しますとか、社員が表れるとは思っていなかったので、驚きました。びっくりしました。自分よりも社員の方がよっぽど優秀だなと思ました。

経営者の役割

人の能力は潜在していて、顕在しているのはわずか一部なんだろうなと。それをどれだけ能力を掘り起こすことができるか、開花させてあげるかというのが管理職や経営者の役割じゃないかなと思います。
それが、社員にとってのやりがいや誇りになってくるんだろうなと気づいたのがそのあたりからですね。
表に出ているのはわずかで、中に潜んでいるものをどれだけ引っ張り出してあげるかというのが信頼関係だと思うんです。信頼してない人にはさらけ出さないですし、見せようともしないですから。もし引っ張り出しても使おうとしないですから。つくづく感じました。それを、社員から教わりました。


これからのサンキョウ-エンビックス


これからの社員に期待すること

やはり2023年のサンキョウーエンビックスの目指す姿。これは、社員が中心になって作ったビジョンなので、是非みんなで達成していただきたいなと思います。
自分の考え方は、チャレンジしないと新しいものは生まれないし、成長もないと思うので、どんどんチャレンジしてほしい。それが結局は自分の成長だし、自分の仕事に対する誇りとかやりがいにつながると思います。チャレンジしてもらい、その成果が会社の成長・発展につながると思います。まずは、2023年のビジョンをみんなで達成してほしいと思っています。


新社長に期待すること

会長の想い大変だと思うんですよね。すべてにおいて責任を持つということを学んでいかんといけんと思うんですけどね。組織と言うのは、大きくても小さくてもリーダー次第なんですね。
良くも悪くもなるというのを頭に置いておいてほしいと思います。それから、勉強をしないと経営者としての信念とか哲学とかと言うものは生まれない。そういうものがないとぶれてしまうので、そうすると社員に見透かされてしまうんです。自分なりの哲学・信念を持ってほしい。すぐには出来ないかもしれないけど、そういうものを持とうとする意識でやってほしいです。中途半端なことをすると何も生まれない。深く奥の底まで落としていかないと見えてこない。

お掃除もそう。花壇の手入れ、ただきれいな花を咲かせるというんじゃなくて、それが人育てにつながるという私の哲学にあっている。掃除と言うのも物事の本質を見るという考え方になると、単なる掃除じゃなくなるでね。そういうものが自分として信念に変わっていく。
やることもたくさんあるだけど、ぶれない考え方を持つというのは経営者として必要なことだと思うし、それが会社の色になってくと思うんですね。今まで築いたのは有松の色だった。浅野新社長は理念を引き継ぐと言っていますが、理念は同じでも色は変わってくると思うんですよね。だから、早く自分の色を出してほしい。いつまでも僕の色ではいけない。自分の色を早く作って表現して経営ほしいと思います。それがきっといい方向に行くんだと思います。

だから、そういう学びを経営者として、していただきたい。1年や2年でできるものではないけど、彼もまだまだ時間があるので、その中で是非見つけていってほしいと思います。
50周年はあと4年程ですが、60年70年と生きていれば式典に参加させていただきたいと思います。


会長の想い